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東京地方裁判所 昭和55年(モ)11549号 決定 1981年2月18日

申立人 紙西トキ

相手方 国

主文

被告は、別紙目録記載の文書を当裁判所に提出せよ。

理由

第一原告の申立

一  申立の趣旨

主文同旨

二  申立の理由

1  文書の表示

別紙目録記載の文書(以下本件文書という。)

2  文書の趣旨

本件文書記載のF八六Fジエツト戦闘機(以下本件事故機という。)の飛行訓練計画及びその実施状況、本件事故の状況、態様、原因等の調査結果

3  文書の所持者

被告(保管者は航空自衛隊 航空幕僚長)

4  証すべき事実

被告が、戦闘要員訓練を実施するにあたり、地上訓練計画を完全に策定しなかつた事実、飛行前ブリーフイングを実施しなかつた事実、空中戦闘訓練空域の気象状況に注意しなかつた事実、訓練中本件事故機が雲中に突入することのないよう注意すべきであるのにそれを怠つた事実、本件事故機に対し適切な指示をしなかつた事実

5  文書提出義務の原因

(一) 民訴法三一二条三号前段、後段

本件訴訟は、被告に前記「証すべき事実」記載のとおりの事実が存したことにより、本件事故機が墜落し、搭乗員である紙西規雄が死亡したため生じた損害につき、その遺族である原告が被告に対し、安全配慮義務違反に基づき損害賠償請求するものである。

本件文書の記載内容は、前記「文書の趣旨」記載のとおりであるから、前記証すべき事実に照らし挙証者である原告に利益となりうる部分があるので挙証者の利益のために作成された文書であるといえるとともに、被告(所持者)と原告との間の安全配慮義務違反に基づく法律関係に関係ある事項を記載しているのであつて、右法律関係につき作成された文書に該当する。

(二) 文書提出の必要性

本件文書は、事故発生と同時に任命された航空事故調査委員によつて航空自衛隊の事故調査能力のすべてを駆使して事故後直ちに行なわれた事故現場の状況、機体の損壊状況、整備関係資料、気象状況、訓練計画資料、訓練の実施状況等の各調査、関係者からの事情聴取等、事故原因を含むあらゆる事項についての調査の結果を記載したものであり、客観性、正確性がありまたその内容も詳細にわたつているので、他の証拠とは比較にならない程重要な証拠であり、証人の証言によつてこれに代えることは不可能である。

しかも重要な証人となるべき紙西規雄は死亡しており、本件事故の内容は公表されないばかりでなく原告に対しても告知されず、原告は本件事故を解明するための資料を入手すべき手段を有しないのであるから、もし原告において本件文書を使用できないときには、当事者間の立証の公平が害され妥当性を欠く裁判結果が導かれると思料される。

以上により被告は本件文書を民訴法三一二条三号に基づいて提出する義務を負う。

第二被告の意見

一  本件文書は民訴法三一二条三号所定の文書に該当しない。

同条三号前段の「挙証者ノ利益ノ為ニ作成セラレタル」文書とは、挙証者の利益のためにのみ作成された文書であることまでは要しないとしても、少なくとも後日の証拠のために挙証者の地位、権利ないし権限を証明し、またはそれを基礎づける目的を持つて作成された文書(たとえば契約書、領収書、同意書、委任状、身分証明書等)、すなわち作成当初から挙証者の利益のために作成され、文書所持者において将来挙証者のため証拠として採用されるであろうことを予測しうる文書であることを要すると解すべきである。ところが、本件文書は航空事故の調査結果の報告であり、挙証者の証拠とされることは予想されない内部的な自己使用のための文書であるから、右文書は同条三号前段に該当しない。

また、同条三号後段にいう「挙証者ト文書ノ所持者トノ間ノ法律関係ニ付作成セラレタル」文書とは、法律関係それ自体を記載した文書に限定されるものではないが、当該法律関係に関係ある事項を記載した文書のすべてがこれに該当すると解すべきではなく、その文書が当該法律関係に関して作成されたものであることを要すると解すべきである。すなわち、文書作成の段階において挙証者との間の法律関係が前提として存在し、これに関連して当該文書が作成されていなければならないというべきである。

ところで本件文書は、航空事故が発生した場合、自衛隊における航空事故の発生を未然に防止するのに必要な資料を得るために航空機事故の発生状況及び事故原因を調査しその結果を航空幕僚長に報告すべく作成されるものであつて、被害者がいない場合にも作成されるのであるから、被害者或いはその遺族の権利関係を前提としたものではなく、専ら航空自衛隊内部の必要からその目的に使用するために作成された自己使用のための文書であり同条三号後段に該当しない。

二  本件文書は提出の必要性がない。

本件文書が民訴法三一二条三号に該当する文書であるとしても、その運用にあたつては、挙証者の訴訟上の利益の保護の必要性と提出することによつて侵害されることのある文書所持者の利益の保護の必要性を比較衝量し、所持者の利益保護の必要性が立証のための文書提出の必要性を上回る場合には、所持者は当該文書提出義務を負わないものというべきである。

本件事故原因については、被告は関係書証を提出し、原告も事故調査にあたつた者等の重要関係者四名の証人尋問を実施して詳細な証言を得ており、以上の各証拠調べにより十分究明ずみであつて、本件文書の提出により唯一の客観的な証拠を得るという原告の主張は理由のないものといわざるをえない。

更に、航空事故の調査には民間人を含めた多数の関係者の協力が必要であつて、これなくしては事故の真相を把握しがたい場合が多いところ、これらの協力者に真実の供述(たとえばパイロツトの私生活の実態、昇進に支障を及ぼしかねない事項等)をさせるには、これによつて供述者が後に不利益を受けることがあつてはならず、また右供述が公表されることに対する不安があつてはならないのである。しかるに、本件文書が訴訟等の副次的な目的に使用されることになると、航空自衛隊において、今後の事故防止対策のための有力な調査方法を放棄せざるをえず、ひいては今後の事故に伴う人的物的な損害防止という欠くべからざるきわめて重大な国家的利益を失うことになるのは必至である。

よつて、被告は本件文書の提出義務を負わないものである。

第三当裁判所の判断

一  本件記録によると、被告が本件文書を所持していることが認められる。

二  そこで本件文書が民訴法三一二条三号所定の文書に該るか否かについてまず検討する。

1  民訴法三一二条三号後段において、文書所持者に当該文書の提出義務を課す趣旨は、挙証者と文書所持者との間の法律関係を、容易に明らかにするに足りる文書が存在することが明らかであるのに、偶々法律関係の一方当事者がこれを所持し提出を拒むため、挙証者において、容易でかつ的確な立証方法を阻害されることの不公正を是正し、これによつて、裁判所に適正な判断を得させるにあると解される。

従つて、同法条後段の「法律関係ニ付作成セラレタ」文書とは、被告が主張するような場合に限定するのは相当でなく、その作成の目的に拘らず、その内容において、挙証者と所持者の法律関係それ自体を、或はこれに関連する事項を直接明らかにするに足りる文書であれば足りると解するのが相当である。

2  そこで本件文書についてみるに、本件文書は、航空事故調査及び報告等に関する訓令(昭和三〇年五月二六日防衛庁訓令三五号)に基づき航空事故調査委員会(飛行安全、操縦、航空機整備等の特技を有する幹部及び医官等によつて構成される)によつて当該航空機事故について調査し、その結果を事故の概要、事故の原因、事故防止に関する意見の各項目にわたつて記載し、併せて担当委員が現地で調査した結果を総括報告、医官報告、整備材報告として専門分野からのより克明、詳細な分析結果を記載すべき文書である。

3  ところで、本件訴訟は、航空自衛隊第四航空団第七飛行隊所属のF八六Fジエツト戦闘機が、戦闘訓練中に墜落し、同機の操縦士紙西規雄が死亡したところから、その遺族である原告が、右事故の原因は、被告が地上訓練計画を十分に策定実施すべき義務、訓練飛行に先立ちブリーフイングを実施すべき義務、訓練空域の気象状況に注意し、訓練中事故機が雲中に突入することのないように注意すべき義務、事故機が雲中に突入前及び突入後において事故機に対し適切な指示をなすべき義務の各義務を怠つたことにあるとし、被告の安全配慮義務違反を理由として損害賠償請求をなし、被告は、右各義務のすべてを否認し、原告が主張する事故原因を争うものであることは、本件訴訟における当事者双方の主張に照らし明らかなところである。

4  以上によつて検討するに、本件訴訟における原告の請求は、原告の主張する事故原因の立証の成否にかかつているものというべきであるところ、本件文書は、本件事故原因の究明とその検討を主たる目的として調査した結果を記載したものであるから、本件事故原因を明らかにするに足りる文書であるといえる。なるほど被告が主張するように、本件文書は、自衛隊内において航空機事故について、その原因を究明し、その後の事故の発生を防止するために作成されたものであることは、前記作成目的等から明らかであるが、本件文書は公文書であつて、その作成目的に拘らず必要に応じて公の利益のために供せられるべきものであり、前記内容に照らして考えると単に私人等が自己使用の目的で作成するメモ、日記等と同列に論ずることはできない。従つて、本件文書は、民訴法三一二条三号後段の文書ということができる。

三  次に提出の必要性等について検討する。

1  本件訴訟においては、既に本件事故の関係者、事故後に調査に関与した者等につき証拠調べをなしたが、これら証人の証言中には事故後相当の時日を経ているため記憶が不正確になつているおそれのあるもの、事故原因の如何によつては直接にその原因に係ることとなり信憑性につき疑問の生ずるおそれのあるもの、等があり、また本件事故が終始被告の支配する領域内において発生し、処理されているうえ、高度の専門的知識を要するため原告において事故原因を証すべき証拠の探索、立証について制約されていることを考えるならば、本件文書は原告の立証のため必要なものであり、被告にその提出を命ずる必要性があるものというべきである。

2  また被告は、本件文書を公開することによつて、国の重大な利益を失うことになる旨主張するが、本件文書を法廷に顕出することにより、情報提供者の個人的利益が害される事情があるとすれば、そのような事情は本件文書の記載事項との関連において具体的に指摘し、その事情を明らかにして主張すべきもの(合理的理由のあるときは該当部分を除いて提出することも考えられる)で、一般的抽象的に論じられるべきものではない。従つて右事由をもつて提出を拒むことはできないというべきである。

四  以上のとおりであるから、本件文書は、民訴法三一二条三号後段の法律関係文書に該当し、その必要性もありかつ提出を拒むべき特段の事由があるとも認められないから、従つて原告の本件申立は理由がある。よつて原告の申立を認容することとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 川上正俊 満田忠彦 山田俊雄)

目録

昭和四三年一月一七日山形県最上郡最上町富沢字大森国有林において、航空自衛隊第四航空団第七飛行隊所属のF八六Fジエツト戦闘機が墜落した事故について、航空自衛隊航空事故調査委員会が作成した航空事故調査報告書

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